2010年5月3日月曜日
愛の泉
愛の泉
エルヴィス・プレスリーはとても単純であり、とても複雑だ。終わりがない終わりが終わる時よりも早く終わっていた。
「POT LUCK」はそういう時代の贈り物だ。
1962年の人も時代も複雑さに単純をまとい、いい時代にする力を身につけていた。
いい時代は、いつも、誰にとっても、人の心のなかにある。それが大事だ。
何事にも言えることで、音楽という道具だって、ナニに使うかよりも、どう使うかが重要なのだ。
エルヴィス・プレスリーのレコードがギネスになるほど売れた理由のひとつは、それだけ使い方も多かったということだ。人々はいい時代にするためにエルヴィスを聴いたのだ。
ボクはいい時代を過ごしていて、こんなにも幸福でいいのかと思ってしまう。
でも人から観れば不幸にしか見えないかも知れない。それでもボクは幸せで、ゴダール風に言えば「永遠が見える」。
なぜならボクの心には愛の泉があって、空に向かって噴出している。空から降ってきたら悲しくなるのに、地から吹き出したら笑顔のなるなんておかしな話だ。本当のところ見方次第なのだ。
そんなボクが1962年のエルヴィスから<愛の泉>をピックアップする。正直言ってこの曲につきあうことは、とても退屈なのだ。ヨーロピアンなムードのバラードだが、愛の複雑さを前にしたら、アコースティックなギターも前菜程度にしか響かない。愛とはなんだ。よろこび、孤独、渇望、ありとあらゆる感情がひとつになったものだ。ロックンロールから遠く離れた楽曲では、現実に立ち向かえない。でも仕方がない。これは家にあったものを持ち寄った「POT LUCK」なんだ。ここで面倒を起こすつもりの者はいない。
ボクはがっかりしながら<愛の泉>を聴く。そしてエルヴィスに刺激と救済を求める。エルヴィス・プレスリーならボクの気持ちを分かってくれそうだと思うからだ。この歌を使って、もっと喜びたいからだ。
ボクは聞いて欲しいんだ。親しい人や好きな人に、いかにしてボクがボクの愛の泉にたどり着いたか。どれほど遠回りをしたのか、でも聞きながら聞かない。きっと自分の知りたい答えを聞きたがるだけだ。
だからボクは話さない。でも聞いてほしいんだ。いかにしてボクがここにたどり着いたか。見えないものが見えている心で、エルヴィスの歌の語りかける。ヘッドフォンをして思い切り音量をあげる。しっかり聞いてもらうためにね。ボクは聞いてほしいからエルヴィスを聴いている。
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