2011年11月15日火曜日

広い世界のチャンピオン / King Of The Whole Wide World



広い世界のチャンピオン / King Of The Whole Wide World

キング・オブ・ロックンロールがリングの王者に駆け上る無名のボクサーに扮した1962年公開された娯楽作品『恋のK.Oパンチ/Kid Garahad』の主題歌が<広い世界のチャンピオン>である。ビートに乗ってビブラートするのびのびとした声がとにかく爽快だ。本作以外にも<アイ・ガット・ラッキー><愛が住み家><虹に乗って><口笛吹いて>などメロディラインが美しい聞き飽きない佳作が並ぶ。

クランクインは1961年11月、同年ハリウッド・レディオ・レコーダースに於いて録音された。

ハリウッドの名優ジェームス・ギャグニー主演で制作された映画のリメイクで、随分キャラクターが違うので、エルヴィス用に大幅にアレンジされていると想像する。

貧乏な男は貝を欲しがり
金持ちの男は真珠を欲しがる
でもたとえ一文無しでも
明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ

*さあ歌おうぜ
みんなで歌おうよ
だってたとえ一文無しでも
明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ

金持ちの男はお姫さまを欲しがり
貧乏な男は普通の女の子を欲しがる
でもたとえ一文無しでも明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ

*2回くり返し

貧乏な男は金持ちにあこがれ
金持ちの男は王様を夢見る
でもたとえ一文無しでも明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ

*2回くり返し

この広い世界のチャンピオン
この広い世界のチャンピオン



A poor man wants the oyster
A rich man wants the pearl
But the man who can slng
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world

* Come on and sing
Sing brother sing
'Cause the man who can sing
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world

A rich man wants a princess
A poor man just wants a girl
But the man who can sing
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world

* Repeat 2 times

A poor man wants to be a rich man
A rich man wants to be a king
But the man who can sing
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world

* Repeat 2 times

Of the whole wide world Of the whole wide world

シングルカットされずにサントラ盤としてEP盤でリリースされたためにヒットチャートを駆け上らなかった<広い世界のチャンピオン>。それでもヒットチャート30位に達している。ブーツ・ランドルフのロックンロール、ノリノリ、サックスががっちりサポートするこの楽曲には、エルヴィス・プレスリーの本質が爆発している。

当時ビッグスターであるエルヴィスが歌ってもリアリティのない歌詞。それでもエルヴィスを知るほどに、エルヴィスが一番欲しかったのは、こういうことなんだろうと人々を十分すぎるほど説得力のある曲だ。

ありきたりな歌詞のように聴こえはしても、うわべで生きることを嫌うと、ありきたりを手にすることすら困難になる。歌とは裏腹にありきたりでないことを余儀無くされたキングがいる。人と違うことの誇りと孤独がビートに乗って大暴れする。

Come on and singの声が泣いている。ビートする声と一緒にたまっていた涙のしずくが飛散する。誰に向かってCome on and singと呼びかけているのか。少なくとも客席にいた自分には飛んできた。

切なさが響く。もっと叫べ。もっと叫べ。魂が聴こえる。貧乏の恐怖が身にしみ込んだ 金持ちの男は、たとえ一文無しでも明るく歌える「本物のキング」になりたかったのさ。

どんな状態でも判断と選択は自分に委ねられている。当時そこまで考えなかったが、いまなら分かる。分れば分るほど、この映画のオープニングに、エルヴィスの隣に座って乗っていける。

キング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーが遺した60年代の傑作のひとつ。エルヴィスのまなざしが光って色あせない。

キャムデン盤アルバム『カモン・エヴィリバディ』に再収録された。
2002年8月にリリースされた『Today,Tomorrow And Forever (Disc 2)』には興味深いテイク違いが収録されている。

2011年5月29日日曜日

口笛吹いてA / Whistling Tune



口笛吹いてA / Whistling Tune

< A Whistling Tune /口笛吹いて>は<スキヤキ/上を向いて歩こう>を思わせるような希望が聴こえてくる歌。アメリカはますます元気で、日本は高度成長期の昭和。「夢」が満ちていた時代で、自分はガンベルトに憧れるこどもだった。スクリーンに登場したエルヴィス・プレスリーもカウボーイ魂を持ったヒーローだった。

それにしても歌う姿がカッコいいと思ったものだ。女性にやさしく、悪には強い。そのカッコよさは、頭巾をとった快傑黒頭巾のようだった。「♪2丁拳銃~」・・・そうだ。僕は松島とも子が歌う<快傑黒頭巾の歌>を聴くといまでも涙ぐんでしまうのだ。

この歌を耳にした頃、僕の頭の中はキラキラしていた。その玉手箱のなかには<悲しき60才>とか、<上を向いて歩こう><見上げてごらん、夜の星を>も入っていた。その大半は商店街に響く音楽と通学路で見かけた映画館の週代わり3本立てを告知するポスターが侵入経路だった。エルヴィス・プレスリーの存在を知ったのも、風呂屋の前にあった新聞社の記事だった。通学路は最大のニュース番組のようだった。

商店街のスピーカーから流れてくる曲は、美空ひばりや坂本九が多く、無意識に玉手箱に侵入したのは、美しいメロディラインと軽快なリズム感がひとつにまとまったポップなバラードだったが、そのどれもがアメリカンポップスの洗礼を受けて出来た曲であることは明らかだ。

< A Whistling Tune /口笛吹いて>は、1962年8 月29 日に全米で公開されたフィル・カールソン監督のエルヴィス1 0作目目の主演映画『恋のKOパンチ』の挿入歌。ボクシングジムの利権をめぐるアクション・ストーリーで何度もリメイクされている作品。スパーリング・ボクサーからプロになり、勝ち続けるボクサーを演じる。エルヴィスが戦って得るのは恋する人の優しい心。

当初はエルヴィスらしさを強調した「リングでキッス」がタイトルで、レコードもすべて「リングでキッス」だったが、映画公開直前に『恋のKOパンチ』に改題された。撮影にあたってKOパンチをコーチしたのは、世界ジュニア・ウェルタ一級チャンピオンだったマシー・キャラハン。相手役には「ブルーハワイ」で共演したジョーン・ブラックマンと「荒野の七人」「大脱走」で売り出す前のチャールズ・ブロンソンがコーチ役で出演している。

ドラマをしっかり組み立てるために、挿入歌は6曲と少なめ。映画的にはこの程度が最適かと思うが、歌が聴きたい火には物足りないかも。なにしろ、MTVのない時代ですから。

ビートの効きまくりのテーマ曲<広い世界のチャンピオン/King Of The Whole Wide World >をハンバーガーとすれば、< This Is Living /これが暮らしだ>< Riding The Rainbow/虹に乗って>など、明るいポップスの佳作揃いの挿入歌はポテトとドリンクって感じかな。なかでも<Home Is Where The Heart Is /愛が住み家>は絶品。こういう歌がさりげなく登場する世の中は幸福だ。

「海を見下ろすような丘の屋敷なんかいらない、キミのいるところが住み家」と真摯な歌声のなかに漂うなんとも温かみのある声。
ビターなチョコレート味のR&B調とはまた違う、エルヴィスの独壇場とも言えるバニラ風味のバラードの調理が冴えに冴えてたまらない。お代りお願~い。

さらに「四つ葉のクローバーなんか見たこともなかった、幸せなんか縁がないと思っていたけれど、今は違う、僕はキミを見つけたんだ」と幸せな感情をミディアムテンポに乗せたツイスト・ナンバー< I Got Lucky /アイ・ガット・ラッキー>はサクサクとバターも効いたうさぎの絵模様のクッキーのようでこれには大満足!
後年、古い曲を集めた廉価版とは言えどアルバムタイトルにしたのも頷ける。幸せが空気に乗って運ばれてくるが目に浮かぶ。

2011年2月25日金曜日

ガール!ガール!ガール!/ Girls!Girls!Girls!



ガール!ガール!ガール!/ Girls!Girls!Girls!

1937年、これは、映画が音をもち始めた年です。そして1929年になると、映画は全篇に音をもった。オール・トーキーと呼ばれ、映画を意味する言葉にまりました。その頃の日本では、映画のことを活動と呼んでいました。

映画が音をもったことは、音楽映画の製作を盛んにし、歌う映画スターを育てることになりました。育てると云っても口で云う程生やさしいことではなく、既に歌手として人気のあるものを起用するようになりました。ルディ・ヴァレー、アル・ジョルソン、エセル・マーマン等が、音楽映画のスターとしてスクリーンで活躍しました。もちろんテレビのない時代のことです。

ビング・クロスビー、後年監督になったディック・ポウェル等が、歌う映画スターとして全盛期をつくります。映画で成功する人気歌手が、次々に現われると、人気歌手は、一応映画に出演するのが定石になりました。映画界でも彼らの人気に便乗してヒットを狙いました。両者の利益が合致したのです。

しかし、歌手として成功した人が必ずしも映画でも成功するとは限らなかったのです。2、3本の映画出演で、映画界に見きりをつける歌手、つけられる歌手、一回の出演で望みなしというケースもありました。

その中で1930年代にビング・クロスビー、1940年代でフランク・シナトラ、1950年代でエルビス・プレスリー、イヴ・モンタンが、映画界にとって大きな収穫でした。

クロスビーは、40年代に成って初めて彼の演技力が、表面に出てオスカーを獲得、シナトラも1950年代に成って演技的に開眼、アカデミー賞を獲得してました。

つまり天才でも、本格的映画スターに成る迄、10年の年月がかかったのです。
1956年にメジャーデビューし、映画初出演。世界を席巻したエルヴィス・プレスリーにとって、1960年軍隊生活を終えてカムバックしたエルヴィスには、入隊前の反逆児のイメージからイメージチェンジを図る上で映画は重要なステージでした。

顔、姿、声、そして性格----演技する時にはその人の持つすべてを利用してます。演技力不足な新人の間は特にそうです。

「せりふを云った経験は、正直な処ありません.」
エルヴィスのキャリアはそこから始まりました。全くの素人が最初から主役を務めたのです。
プロデューサーはエルヴィスが、無理をしなくもこなせる役柄を選びました。
そのおかげで、エルヴィス・プレスリーがエルヴィス・プレスリーでさえあれば、物語は用意できたのです。



しかし、そこには難しい問題が潜んでいたのです。

入隊までに出演した作品は四本あり、屈折した青年ばかりでした。
ところが、カムバック後は、がらりと変わります。
明るくたくましい青年像が次々と登場したのです。

実像とギャップがあるというか、もともとエルヴィスという人は二面性がくっきりした人でした。入隊前のエルヴィス映画はナイーブで暗いほうのエルヴィスでした。
しかし、除隊後は一転。
なかでも、「ブルー・ハワイ」はその典型でした。「ガール!ガール!ガール」は、「ブルー・ハワイ」同様、歌のタイトルを映画のタイトルにしたものです。

しかし、「ガール!ガール!ガール」では、思いがけず二面性の統合がなされていたのです。ご覧になると分かりますが、エルヴィスはすんなり演じています。映画スター、エルヴィスの可能性を示した作品だったのです。

それに気がついた人は少なかったと思います。歌の魅力が優っていたのです。「ガール!ガール!ガール」は挿入歌も脚本のひとつになっています。エルヴィス映画の本領を発揮した作品だったのです。

2011年2月22日火曜日

心のとどかぬラブレタ-/ Return to Sender



心のとどかぬラブレタ-/ Return to Sender

人は、恋しい人にふられたりすると、
失った虚しさから、いつの間にか自分を責めてしまいます。
責めは、自分の行動からはじまって性格、容姿、
これでもかという位に、際限なく続き
「自分いじめ」は広がり、孤独感はエスカレートします。

 もし、そんなことになったり、仕事で落ち込んだりしたときに
是非聴いてほしいのが
<心のとどかぬラブレター>です。


心のとどかぬラブレター

   送り主に返送
   送り主に返送

   郵便屋さんに手紙を渡し
   彼はそれを袋に入れた
   次の日の朝早く
   手紙は僕に戻ってきた
   彼女は封筒にこう書いた
   *「送り主に返送

   住所が不明です
   該当する番地なし
   該当する地域なし」
   僕達は口喧嘩
   恋人同士の罵りあいさ
   「ごめんね」って書いたのに
   手紙は戻ってくるばかり
   だからポストにいれて
   特別郵便で送ったよ
   でも次の日の朝早く
   手紙はそのまま戻ってきた
   彼女は封筒にこう書いた
 
   「送り主に返送
   住所が不明です
   宛先人が不明です
   該当する地域なし」
   今度は自分で持って行って
   彼女に手渡してくるさ
   それでも次の日に戻ってきたら
   僕にはようやく理解できるだろう
   彼女が封筒に書いた事の意味が

   *くり返し

   あ~あ、送り主に返送
   送り主に返送
   送り主に返送
   送り主に返送
 
  ★★★心のとどかぬラブレタ- 



自分の窮地を笑い飛ばすユーモアの素晴らしさ。
自虐趣味ではありません。
困ったときに自分の立場を笑い飛ばせるカッコよさにボクは惹かれたのです。
   
<心のとどかぬラブレター>が使われた映画「ガール!ガール!ガール!」の
主人公は、どんなことがあっても、自分を信じて、自分で切り開いていく自立心の持ち主。
<心のとどかぬラブレター>に脈々とながれている精神は、エルヴィス映画の精神です。


自分の幸福は自分でつかむ。
その精神があればアタックもこわくない。
失敗を恐れて、アタックに躊躇してしまうのは、
女のコに幸福してもらいたい魂胆の弱気虫。これでは逆玉のコシです!

結果的に叩きのめされたにしても、
恐れず、チャレンジしたことが自分の輝き。

いい加減な男は別だけど、ここには
自分の幸福も愛する人の幸福も、おれの手でゲットするぞって思いがあります。

自分を信じていない女性は遊び半分の 思いでどんどん迫るのを
真摯な思いと間違えてしまう傾向が強いのだから。

他愛のない映画と言うなかれ。
ツボを押さえたエルヴィス映画に勇気づけられた人は多いはず。

時代は明るくノー天気だった。
ベトナムの砲弾に吹っ飛んだその素晴らしさは、
日本のモチベーションを精一杯高くした原動力だった。

2011年2月1日火曜日

イージー・クエスチョン/(SUCH AN) EASY QUESTION



イージー・クエスチョン/(SUCH AN) EASY QUESTION

エルヴィス・プレスリーが1962年3月18日に録音した<(SUCH AN) EASY QUESTION >は、同年6月にリリースされたアルバム「POT LUCK WITH ELVIS」に収録された。邦題 は<こんなにやさしい問いなのに>だった。

その3年後、1965年7月7日に全米公開された映画「いかすぜ!この恋(TICKLE ME)」の楽曲に、人気投票で選ばれて、シングル・リリースされた。タイトル変更され<イージー・クエスチョン>に変わった。

<いかすぜ!この恋>を日本ではA面にしたのは、<いかすぜ!この恋>が映画のタイトルになったこともあってだと思うが、この2曲ともにいい曲で<イージー・クエスチョン>は、<いかすぜ!この恋>のブラッキーなフィーリングにはないポップな楽しさがユニークで、その楽しさ、オリジナル性はいまも変わらない。

アメリカでは、ダブルA面扱いでリリースされている。
この時期のエルヴィスが、とりあげた楽曲は、やがて襲来する英国ロックバンドをしのぐだけの力感を持った楽曲が揃っている。

エルヴィスがライブでビートルズの<レット・イッツ・ビー>とメロディにして歌っていた<リトル・シスター>や<サスピション>など粒揃いだ。

<イージー・クエスチョン>もそのひとつ。もともとエルヴィスなじみのライターが一曲ずつ提供した形をとったアルバム「POT LUCK WITH ELVIS」だけに、どれをとってもシングル・カットできる代物ばかり。


♪ need me ♪
♪ tell me ♪

絶妙な歌声とコーラスの絡み合い。夏の日の昼下がり、浮世を忘れて、自分を痛めつけた悪女を思い出しながら、ゆっくり聴くと最高。世の男にとっては、女性は厄介な生き物。何を考えているのか分らない、その不可解にぴったりなポップで妖し気だ。女の毒に悩まされたようなコーラスもおしゃれ。掛け合いもぴったりハマっているのは、エルヴィスの甘い声が妖し気な世界を這うように探検するからか。
「いかすぜ!エルヴィス!」と声が飛んできそうにカッコいい楽曲だ。