2011年2月25日金曜日

ガール!ガール!ガール!/ Girls!Girls!Girls!



ガール!ガール!ガール!/ Girls!Girls!Girls!

1937年、これは、映画が音をもち始めた年です。そして1929年になると、映画は全篇に音をもった。オール・トーキーと呼ばれ、映画を意味する言葉にまりました。その頃の日本では、映画のことを活動と呼んでいました。

映画が音をもったことは、音楽映画の製作を盛んにし、歌う映画スターを育てることになりました。育てると云っても口で云う程生やさしいことではなく、既に歌手として人気のあるものを起用するようになりました。ルディ・ヴァレー、アル・ジョルソン、エセル・マーマン等が、音楽映画のスターとしてスクリーンで活躍しました。もちろんテレビのない時代のことです。

ビング・クロスビー、後年監督になったディック・ポウェル等が、歌う映画スターとして全盛期をつくります。映画で成功する人気歌手が、次々に現われると、人気歌手は、一応映画に出演するのが定石になりました。映画界でも彼らの人気に便乗してヒットを狙いました。両者の利益が合致したのです。

しかし、歌手として成功した人が必ずしも映画でも成功するとは限らなかったのです。2、3本の映画出演で、映画界に見きりをつける歌手、つけられる歌手、一回の出演で望みなしというケースもありました。

その中で1930年代にビング・クロスビー、1940年代でフランク・シナトラ、1950年代でエルビス・プレスリー、イヴ・モンタンが、映画界にとって大きな収穫でした。

クロスビーは、40年代に成って初めて彼の演技力が、表面に出てオスカーを獲得、シナトラも1950年代に成って演技的に開眼、アカデミー賞を獲得してました。

つまり天才でも、本格的映画スターに成る迄、10年の年月がかかったのです。
1956年にメジャーデビューし、映画初出演。世界を席巻したエルヴィス・プレスリーにとって、1960年軍隊生活を終えてカムバックしたエルヴィスには、入隊前の反逆児のイメージからイメージチェンジを図る上で映画は重要なステージでした。

顔、姿、声、そして性格----演技する時にはその人の持つすべてを利用してます。演技力不足な新人の間は特にそうです。

「せりふを云った経験は、正直な処ありません.」
エルヴィスのキャリアはそこから始まりました。全くの素人が最初から主役を務めたのです。
プロデューサーはエルヴィスが、無理をしなくもこなせる役柄を選びました。
そのおかげで、エルヴィス・プレスリーがエルヴィス・プレスリーでさえあれば、物語は用意できたのです。



しかし、そこには難しい問題が潜んでいたのです。

入隊までに出演した作品は四本あり、屈折した青年ばかりでした。
ところが、カムバック後は、がらりと変わります。
明るくたくましい青年像が次々と登場したのです。

実像とギャップがあるというか、もともとエルヴィスという人は二面性がくっきりした人でした。入隊前のエルヴィス映画はナイーブで暗いほうのエルヴィスでした。
しかし、除隊後は一転。
なかでも、「ブルー・ハワイ」はその典型でした。「ガール!ガール!ガール」は、「ブルー・ハワイ」同様、歌のタイトルを映画のタイトルにしたものです。

しかし、「ガール!ガール!ガール」では、思いがけず二面性の統合がなされていたのです。ご覧になると分かりますが、エルヴィスはすんなり演じています。映画スター、エルヴィスの可能性を示した作品だったのです。

それに気がついた人は少なかったと思います。歌の魅力が優っていたのです。「ガール!ガール!ガール」は挿入歌も脚本のひとつになっています。エルヴィス映画の本領を発揮した作品だったのです。

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